つくし(土筆)
柳田国男によると「ツクシは自分の推定では澪標(みおつくし)のツクシであって、突っ立った柱を意味する」としています。「みおつくし」は海や河の浅い所で水路を示すために目印として立てた杭のことで、いまでも田の畦に大豆をまくための穴をあける棒などを「つくし」と呼ぶ地方があります。
また、氏は、ツクシやスギナをその袴のところから切って継ぐ子供の遊びから「ツク」が「ツグ(継ぐ)」にわかれて「ズクズクシ」「ツギツギ」といった方言を生み、一方では日ごとに袴を脱いで頭を出す形から僧侶の俗称である「法師(ホウシ)」を連想して「ボウシ」と呼ぶなど新しい方言を生んで、この二つの方言が合わさって「ツクシンボ」が生じた、としています。(北海道山菜誌より・北海道大学図書刊行会)
一方、ツクシを土の筆としたのは、土を突いて出るからで、筆に似ているところから土筆と書き、漢名は筆頭菜(ひっとうさい)と充てています。
また土筆花(つづくしばな)と呼んだり、古くは筆芽花(ふでつばな/地方によってはヒツチカと称していた所もあるようです。)と呼んでいたので、こんなところからでしょうか「澪標のツクシというのは文学的ではあるが・・如何なものか?」という説もあります。
歴史的に見ますと関東では江戸時代前にツクツクシと呼ばれていました。京阪では、文化・文政(一八〇四~三〇)のころになってツクシという呼び方が始まります。それ以前はツクツクシと称しています。ツクは、「突く」で、ヅクも「突く」です。ツクヅクシが簡単になってツクシとなったと見るのが自然のような気がします。
土筆振舞いという江戸時代のエピソードがあります。駿府城の書院番頭が、毎年春になると、場内に生えているツクシをとって、在番の士を役屋敷に招待し、土筆振舞いと名づけて、酒宴を設けることにしていました。ところが岡部丹波守が、多忙のため機会がなく、八月になってから、ようやく塩漬けのツクシを使って、恒例の土筆振舞いを果たし、これが機縁となって、ツクシの塩漬けが駿府の名物になり、広く知れ渡ることになりました。なかなか風流な士がいたものです。
日高 一
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」258号(2007年6月5日発行)に掲載された記事です。
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