正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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バガヴァッドギーター(2)

     - インド哲学

『バガヴァッドギーター』は、インド人に深く愛され、
インド人の精神的な支柱を形成しているといっても良い作品です。
それは、一つには、この書がインドの国民的叙事詩『マハーバーラタ』の
一部をなしていることにも関連するのではないかと思います。
親族同士が相争うという悲劇的な状況の中で苦悩する主人公アルジュナの心に応えて、
本書『バガヴァッドギーター』は、
哲学的な思索を深めていき、最後は神への信愛を高らかに歌い上げます。
縦横に説かれる哲学的な議論に叙情豊かな感性を加えて、
迷いを払い歓喜の境地へと結実していくさまは、インド人ならずとも圧倒されることでしょう。
それでは、『マハーバーラタ』の舞台設定や登場人物などから話を始めましょう。

バラタ →クル →シャンタヌ
題名にもあるように、「バーラタ」は、「バラタに関わるもの」の意で、
バラタ王の後裔たちを指しています。
バラタ王の孫はクルという名で、その一族をカウラヴァと言います。
クル王の孫にシャンタヌという王がおり、その後裔たちの間に起きた戦争が、
『マハーバーラタ』の題材となったのです。
つまり、バーラタ(バラタ族)の中にカウラヴァ(クルの一族)が入っていることになります。
そこで、クルの孫のシャンタヌ王も、カウラヴァに属するということになり、
これが、親族としての正統な血筋ということに一応なりましょう。
さて、シャンタヌ王には、女神ガンガーとの間にビーシュマという息子がいました。
その後、シャンタヌ王はサティヤヴァティーという美しい漁師の娘を王妃に迎えます。
サティヤヴァティーは、結婚の前、自分の息子を王位継承者とすることを望んだので、
王の息子ビーシュマは、王位を継がず生涯独身を貫いて子孫を作らないことを決意するのです。
こうして、シャンタヌ王とサティヤヴァティーの間には二人の息子が生まれ、
かれら二人は、父の死後、次々と王となります。
しかし、長子は戦いで亡くなり、
次男も二人の王妃との間に子どもをもうける前に亡くなってしまうのです。
王母のサティヤヴァティーは、王家の存続を願ってビーシュマに二人を妻とするよう頼みますが、
独身の誓いを立てたビーシュマはそれを断ります。
かれは、残された二人の妻たちに、故事にならって
高徳のバラモンから子種をもらって子孫を作らせることとします。
そこで、サティヤヴァティーはかつて自分と聖仙パラーシャラとの間に生まれた
子どもの聖仙ヴィヤーサを呼び出して、二人の妻との間に子どもをもうけてもらうのです。

このあたりで、おや?と思われたのではないでしょうか。
息子が王家を継ぐなら、血のつながりは重要であろうに、
聖仙との間に生まれた子どもを子孫としてもよいのだろうか。
カーストというインドの身分制度を知っている方なら、なおのこと
クシャトリヤの血筋が途絶えることを心配するのではないだろうか、と。
ここに、「血は水よりも濃い」という考え方にはない、
別の思想があることに気づかれたのではないでしょうか。
徳の高いもの、精神の清らかなものが関わる血筋がよりいっそう重要なのだという
思想的なものが見え隠れしているようにも思います。
これは、なぜかと考えると、輪廻と解脱という思想のせいではないかと思います。

『バガヴァッドギーター』の中で哲学的な議論となって現れてくるように、
個人の「自己(アートマン)」は生と死を繰り返しながら輪廻する中で陶冶されていき、
最終的には解脱へと向かっていく、というアートマンの思想が、インドにはあります。
ただ、血縁の存続を求めるというのではなく、王族であれ誰であれ、
個人の解脱を最高のものとするという「解脱の宗教」を共有することに、
インドの人々は自分たちのアイデンティティを見いだしたのではないかと思います。
これこそが、インドの精神なのでしょう。
インドの人々が、自分たちをバラタ族の末裔であると考えて、
自分たちの国をバーラタと呼ぶのも、
その思想を共有している一族としての思いがあるからではないでしょうか。
インドは、精神を重んずる国なのです。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」415号(2020年7月6日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。