正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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プラクリティ

     - インド哲学

ヨーガは、ほとんどすべてのインド哲学の学派が認める実践方法です。インドでは、どんな哲学思想もヨーガなしには成りたたない、と言ってもあながち間違いではありません。それほど、ヨーガはインドの哲学思想の中に行きわたっているのです。

さて、前回はプルシャのお話しをしました。みなさんは、プルシャやアートマンということばには、ずいぶん慣れてきたことでしょう。どちらも、哲学的にほとんど同じような意味、すなわち、「精神原理」を表すことばとして定着しています。

今回は、ここにもう一つの原理、物質原理を加えましょう。それは、プラクリティということばです。西洋においては、精神と物質という二つの区別はとてもはっきりしています。精神は、理性的・知性的な心のはたらきに関わるでしょう。それに反して、物質原理は、物質の世界一切がそこから出てくる元のものをいいます。

この世の一切を、精神と物質に分けるやり方を二元論と呼びます。インドでは、ヨーガ学派の姉妹学派であるサーンキヤ学派が、精神と物質の二元論を基盤としているのです。

サーンキヤの二元論は、私たちがふつうに考える精神と物質とは大きくちがっています。

精神原理はプルシャが担当します。精神原理プルシャは、知、知性を本質として、ただ「見る者」と言われます。精神は動いたり変化したりしないので、「非作者」と言われたりします。その一方、プラクリティは、唯一の実体であって、ここから一切の現象世界が作られていきます。

では、たった一つの原理プラクリティから、こんなに複雑で多様な現象世界がどうやって作り出されるのでしょう?

それを説明するのは、三つの構成要素(トリ・グナ)です。純質(サットヴァ)・激質(ラジャス)・暗質(タマス)という要素の微妙な配分によって、この世の一切のものは作られ、それらは変化し開展していき活動します。

さらには、この現象世界を作るプラクリティの特徴は、「無知」といわれます。精神原理プルシャが「知」を特徴とするのに対し、物質原理のプラクリティは「無知」を特徴とします。先ほど述べましたように、精神原理は変化せず不変であって活動することはありません。

それに対して物質原理のプラクリティは、変化し活動しいろいろなものを作り出します。このように、精神原理と物質原理は、互いに相反した特徴をもっています。よく男女に喩えられます。精神原理は男性、物質原理は女性に対比されて、踊り子が観客の前で踊りを披露するように、物質原理プラクリティは精神原理プルシャのために世界を開展させると説明されます。

さて、ここでみなさんに問題です。みなさんが抱える心の悩みや精神的な苦痛などは、二元論でいえば、どちらの問題になると思いますか?プルシャの問題になるのでしょうか、プラクリティの問題になるのでしょうか。

心の問題は知性の働きや理性のはたらきに関わるから、精神原理の問題じゃないのかな、と想った人もいるかもしれません。残念ながら、サーンキヤ学派では、ちがうのです。

頭で考える識別判断といった高度な知的活動も、実は、サーンキヤの二元論ではプラクリティの働きに入ってしまうのです。びっくりしたでしょう。 

難しい哲学の問題を考えても、無知なプラクリティの働きなのです。

そこには、実は、ヨーガの伝統が作用しているのです。様々な心の働きはどんなに知的に見えても、あてどなく変化する一時的なものにすぎません。インドの人々は悩みや苦しみについてこのように結論づけました。

『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガとは心の働きを止めることだと言います。どうして、心の働きを止めてしまうのでしょうか。みなさんなら、もうおわかりでしょう。物質原理であるプラクリティは、精神原理を惑わすものでもあるのです。プラクリティが動かなくなって心の働きが鎮まると、本来の知である精神原理プルシャは、惑わされることなく本来のはたらきをするようになります。永遠であって動くものにとらわれない、「見る者」であるプルシャ。それが、プラクリティから切り離されて独り存在することになります。それをプルシャの独存(カイヴァルヤ)と呼びます。観客に踊りを披露した踊り子が踊り終わって踊りをやめるように、プラクリティは開展をやめて、元の原理に戻るのです。そうすると精神原理プルシャもまた本来の姿に戻るのです。これが悟りの境地なのです。

様々な苦しみから逃れるために、インドの哲学は存在しています。具体的にはっきりと人々の役にたってくれるので、哲学はインドでは宗教のように扱われているのです。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」450号(2023年6月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。