正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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仏教とヨーガ学派

     - インド哲学

ヨーガ学派の根本教典『ヨーガ・スートラ』は、ヒンドゥー教系統の聖典としてとても有名です。みなさんの中には、ヨーガ学派の大事な教典だから一度は読んでみなくちゃと思われた方も多いのではないでしょうか。

ところが、いざ読もうとすると短いことばを連ねた独特のスートラ体という書き方で書かれ、あまりにも短すぎてなんのことを言っているのかさっぱりわからない、ということになってしまうのです。

その昔、日本ではじめて『ヨーガ・スートラ』を現代語に訳そうとしたのは宗教学者の岸本英夫(1903~1964)という方です。かれは名詞が連なったような独特のスタイルに手こずって、名詞止めで訳しました。

たとえば、有名な第1章の第2偈は「心統一(yoga)は、心の作用(citta-vṛtti)の制御(nirodha)。」となっています。

その後和訳を手がけたインド哲学研究者でもありヨーガの実践者でもある佐保田鶴治博士は「ヨーガとは心の作用を止滅することである。」としています。このように、たいへん苦労しながら訳されてきました。

さて、ヨーガ学派の他にも、インドには哲学の学派は、正統派としては全部で六つ知られていて、まとめて「六派哲学」といわれています。そして、それらの根本の教典は、スートラ体という形式で書かれているのです。

ヴェーダーンタ学派は『ブラフマ・スートラ』を根本教典とし、ミーマーンサー学派は『ミーマーンサー・スートラ』、ニヤーヤ学派は『ニヤーヤ・スートラ』という具合です。サーンキヤ学派だけが『サーンキヤ・カーリカー』と言われますが、これも、短い詩の形をしていてスートラとほとんど変わりません。

長いこと、わたしは、「謎だなあ」と思って来ました。でも、とうとうその答えを見つけたように思います。

これは仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ、すなわち、ゴータマ・ブッダが始めたものなのです。サンスクリット語の「スートラ(経)」とは、糸を意味していますが、それは弟子たちが実践しやすいように、また、記憶しておけるように、短いことばで簡単に要点をまとめて、暗記しておくためのものだったのです。

インドの花環は、花の部分のみを、たくさん糸に通して、作られます。それと同様に、学説の要点を短いことばで表して、それを首飾りのように首にかけておくという喩えから、全部暗記して記憶しておくのがそれぞれ弟子のやるべきことでした。こうして、練り上げられた学説は、整理整頓されて、実践的に身に付けようとする弟子たちの記憶の中に簡潔にとどめられてきたのです。

インドの哲学はどんな場合でもかならず実践をともないます。西洋の哲学では、思索が大事であって、事実にいかに気づいていくか、仏教風に言い換えれば、他の人が思いつかないことをいかに思いつくかが問題になります。実践することは問題ではないのです。しかし、インドでは思いついただけでは何もなりません。本当に理論どおりになるかが問われるのです。

自分自身を哲学学説の体現者として、学説どおりになることを確かめていくのです。したがって、学説は完成した理論であることが求められますし、また理論を建てる人は、学説を実際に体現していなくてはなりません。

こういうわけで、インドでは哲学と宗教は切っても切れないのです。哲学的であるのは、思索を重視するからです。宗教的であるのは、実践して哲学的な境地を体現しないと真実として他に教えられないからです。

こういうやり方を最初に確立した人は、実は、わたしは、仏教の開祖ブッダであると考えています。ヨーガ学派の出現は、仏教より遅れること500~800年くらいです。

ブッダの思想は、当時行き渡っていたバラモン教の宗教や思想と、対立する側面を見せています。仏教は、哲学的にはアートマン(自己、我)を否定するアナートマン(無我)の思想を説きました。そうしながら、その実(じつ)、ヨーガ学派や他のヒンドゥー教の学派に多大な影響を与えているのです。それどころか、ブッダの説く法を借用しながらヨーガ学派の思想は作られており、仏教の禅定を土台にして八支則ヨーガの理論は、作られたと言っても過言ではありません。このような事情を踏まえると、仏教からヨーガの実践に入ることも可能なのです。

こうして、ヨーガ学派の伝統では、大半は仏教用語が用いられたり、また仏教の禅定に倣うところが多いのですが、ところが、理論の最終段階で仏教とたもとを分かつことになるのです。ヨーガ学派は、仏教のアナートマン(無我)の思想を離れて、ヒンドゥー正統派が認めるアートマン(我)の思想を高らかに歌い上げるのです。そのため、思想的に整備をしなくてはならなくなり、仏教から別れてサーンキヤ思想に依ることになったと考えられます。

今年は、3級では五回ほど、『ヨーガ・スートラ』を読んでいこうと思っています。仏教がいかに『ヨーガ・スートラ』に影響を与えたか、またそうでありながら、ヨーガ学派は最終的には独自性を保ち、いかに仏教とは異なっているのかを見ていこうと思います。仏教の伝わった日本においては、ヨーガは身近であるように見えながら、意外と遠いのがヒンドゥー・ヨーガの思想であると考えられます。じっくりと見ていきましょう。

 


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」475号(2025年7月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。