アオの話
- 鍼灸治療
明けましておめでとうございます。
今年は午年ですね。
昭和30年代の半ばから40年代の初め頃にかかわった馬とのちいさな思い出があります。
私の母の実家は蘭越郡の昆布町にありました。母と一緒に帰省する時は国鉄に乗り昆布駅まで行きます。駅に着いても当時は路線バスやタクシーなどはなく、徒歩ですと実家へは1時間近くかかります。たいていは母の兄が列車の到着時間に合わせて馬車で迎えにきてくれました。母と私と弟はそれに乗り母の実家へと行きました。冬には馬橇で迎えにきてくれました。
この馬はアオという名でいつもは農耕馬として働いていました。夜は馬小屋にいるのです。昔の農家ですのでトイレが馬小屋を通り過ぎたところにありました。私たちは子供で、しかも帰省の時にしか来ないので、からかっているのか馬小屋の前を通るたびに大きな歯をむき出しにしてブホォォ、ブホォォと脅して来るのです。いつもこわごわ用を足しに行っていました。
北海道の農業に馬が本格的にかかわり始めたのは日本政府が開拓使を設置してからのようです。明治2年に開拓使が設けられ翌年の明治3年には本格的に開墾を始めました。さらに明治18年には農業用に馬を使い始めたということです。農耕馬、使役馬としてはピーク時の昭和30年代には道内に50万頭いたと言われています。やがてトラクターなど農業の機械化が進むにつれ農耕馬は減少していきました。私たちの送迎も昭和40年代に入るとトラクターに荷車をくくりつけたものに変わりました。
「馬」というとサラブレットやばんえいの馬を思い浮かべることが多いのですが冬の寒さの中、鼻から白い息を力強く吐き、体から湯気をたてながら私たちを運んでくれたアオを思い出します。

この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」481号(2026年1月5日発行)に掲載された記事です。
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著者 ●鍼灸師 |
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