正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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縁起のお話し

     - インド哲学

お正月にふさわしいお話しといえば、これではないでしょうか、その名も「縁起」です。

日本には、古くからいわれている「縁起」ということばがあります。「縁起が良い」とか「縁起が悪い」の、あの縁起です。

これは、仏教の開祖お釈迦さまが提唱したもので、生き物たちのさまざまな出来事を関係づけて表すための大事なことばなのです。今では、ただの迷信や験担ぎのような意味しかもたなくなってしまいました。お正月の頃になると縁起物と呼ばれるおめでたい品々が売り出されます。また、「縁起を担ぐ」「縁を結ぶ」などといいまして、吉凶を表したり、人間関係を表現したりもいたします。ですが、お釈迦さまは、ありとあらゆるところで成りたつ因果関係をこう呼んだのです。実は、非常に複雑で微妙な関係なのです。「縁起」は、ことばの意味としては、「何か或る事柄に縁って、別の事柄が起こる」という関係として示されます。

この関係は、まず仏教で説かれますと、それからインド思想にも次々と波及していきます。というより、ごくごく自然に認められる関係なので、誰も不思議に思わなかったのです。

たとえば、ヨーガに取り組んで健康な生活を手に入れたというのも、因果関係です。また、瞑想をすることによって心がリラックスするのも、因果関係と考えられます。でも、それらは人々の最終目的ではありません。最終的には解脱に至ること、これがインド人の人生の目的なのです。解脱とは、文字通り解き放たれること・脱することを言うのです。

こうして、どんなところにも因果関係を認めているうちに、あらゆることが原因と結果の関係で語られるようになります。現代科学や現代医学も、根本にあるのは因果関係ですが、それは不確かな関係、すなわち蓋然的(がいぜんてき)な関係であると考えられています。たとえば、開発されたコロナウィルスのワクチンも、すべての人に100%効くわけではありません。そして、人により効き方には差があります。

しかし、インドにおいて、お釈迦さまが認めた縁起の関係は蓋然的な関係ではありません。確実な関係なのです。それは二種類の式で表されます。たとえば、生まれたなら、生き物は確実に死んでいきます。「生まれることに縁って死ぬことがある」というように、肯定的に表せます。これは西洋でも東洋でも変わりません。しかし、西洋的な因果関係とお釈迦さまの縁起には大きな違いがあるのです。それは、「生まれることがないならば死ぬことはない」という否定的な関係もお釈迦さまは説くのです。確かに、生まれなければ死はやって来ることがありません。なんだ、あたりまえだろ、と思ったあなた。

いやいや、それが、そんなにあたりまえでもないのです。自分について言えば、前に生まれたことがある、ってどうして分かるのだろう。不思議ですよね。

こうして、インドでは多くは輪廻という考えにいたるのです。わたしたちは、怒りや欲にとらわれて無知のために何度も何度も生と死を繰り返してきたのです。だからこそ、生まれないことをめざして、すなわち、輪廻からの解脱をめざして、ヨーガを実践してきたのです。仏教の思想では文字通り生まれないこと(不生)をめざしたのですが、インドの思想では、生まれないことにさまざまなヴァリエーションを認めました。不生不滅、つまり永遠不変の宇宙の原理ブラフマンとの合一こそ求める悟りであるとするヴェーダーンタ思想、また、精神原理プルシャ(=アートマン)が物質原理プラクリティから離れて独存することが、求める悟りであるとするサーンキヤ思想など、さまざまな思想がインドでは因果的な仕組みによって語られていくのです。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」457号(2024年1月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。