正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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「ヨーガとは心作用の死滅である」

     - インド哲学

「ヨーガとは心作用の止滅である」というのは『ヨーガ・スートラ』第1章の第2句の有名なスートラです。皆さんのなかにはこれをそのまま覚えてしまっている方もいるのではないでしょうか。

サンスクリット語の文で言いますと、「ヨーガシュ チッタ・ヴリッティ・ニローダハ」となります。「チッタ」は「心」という意味、「ヴリッティ」は「作用」とか「はたらき」という意味です。「ニローダ」は、実は仏教ではとてもよく使われる語で、「滅」と訳されることが多いのです。そんなところから、仏教の専門用語と言っても良いかもしれませんね。

さて、今回は、この一文について解説しましょう。「こんな一文すぐ分かるよ、わざわざ説明する必要ないんじゃない」と思ったあなた、いえいえ、そうではありません。

説明されなければ、全く分からないのが、インドの哲学だと思ってください。では、まず、「ヨーガとは」の部分から行きましょう。どうして最初に「ヨーガとは」という語が来ているのでしょう。「ええ~っ?そんなことまで聞くの?」そうですよ、考えてみましょう。

ええっとぉ、ヨーガの定義だから、って答えで、どうでしょう。なかなかいいですね。でも、この答えでは100点満点中50点です。

実は、インドでは、語順はとても大切なのです。特に仏教の場合、定義するときは「ヨーガとは…」と始まるのではなく、「これこれが、ヨーガなのである」と「ヨーガ」の語を文尾にまわして説明されるのです。つまり、仏教の場合、分かるところからはじめて分からない言葉(=定義される語)に行くのが順序なのです。

特に定義をする場合、知っていることから始めないと定義を説明される人は、説明について来れないでしょう。「心の作用を止滅してしまうことがヨーガなんですよ」と言われると、「ああ、そうなんですか」と、とりあえず納得できるでしょう。

ちなみに、この第1章第2句以外のすべてのスートラでは、定義と思われるものはみな、仏教の説明の語順にならっていて、パタンジャリは文末に定義される語を置いているのです。ただ、「ヨーガとは」という一文だけが、逆の順序になっているのです。これは大いに謎です。

『ヨーガ・スートラ』の著者パタンジャリは、わざわざそうしたのです。なぜ、そうしたのかについては、これから『ヨーガ・スートラ』を説明して行く中で、追々明らかになることでしょう。どうぞ、皆さんも、ご自分で考えてみて下さい。これから、ヨーガのスートラを一つずつ説明していきますので、それらを学んでいく中で、自然と答えが浮かび上がってくるのではないかと思っています。楽しみにしていてくださいね。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」479号(2025年11月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。