ある日の出来事
三月のある日、午後八時過ぎのこと。久しぶりに早く帰った私は家でくつろいでいました。翌日祖父の見舞いに行く予定の母は、早く寝ようとお風呂の準備をし、床を整えていました。その母が突然、「あら、ぶっちって言った・・・」と崩れていきました。「口が回らない」、「立てない」。そう言いながらです。もしかして、脳出血?「ぶちっ」て血管が切れた音?娘である私は、しばし呆然。母を支え、横にしてから、救急車を呼ぶことに気がつくまで、数分間の時間がかかりました。
はっとして電話を取り、救急車を呼び、状況を説明し、夜間救急の脳神経外科に運ばれました。その間母には意識があり、外出中の夫や娘を気遣っていました。
脳出血でした。手術は不要ではありましたが、血圧がさがらず、このまま出血が広がるのではないかとはらはらしました。崩れていった母の姿が頭から離れず、ただただ祈るだけでした。
結局、運動麻痺、いわゆる半身不随になりました。生きていてくれてよかった、ただその思いだけです。これからのこと、先のことなど、何も考えられませんでした。
数日後、リハビリテーションが始まり、本人は一生懸命頑張っています。それは献身的な病棟看護スタッフと、リハビリテーションスタッフのおかげです。真摯に対応してくれることに感謝しながら、自分が頑張らなければと思ってくれています。患者の恐怖と家族の不安を病院スタッフは受け止めてくれています。私自身、こんな職業をしていながらも、改めて知った事実でした。看護師さんが白衣の天使に、リハスタッフが頼もしく輝いて見えました。慰められ、癒されました。
家族として、何が不安になるのか、よくわかりました。きちんと説明される安心感、信頼のために必要なことに気がつきました。あらためて、自分の職業を見直したのでした。そして、やはりストレスはいけません。早めに自覚して休息することです。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」244号(2006年4月5日発行)に掲載された記事です。
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