何かがおかしい
安全安心と信じていたお菓子に、消費期限切れの原料が使われ、衛生状況もひどいものであった。これはひとつの会社の問題ではないようです。最近の新聞広告は、毎日この種のお詫びが並んでいます。テーマにするとその食材は売り切れ状態となるため、生産者や小売り業者等々に多大な影響を与えていた健康番組のデータ捏造。これもひとつではすまないようです。さらには、現職大臣の「女性は子どもを産む装置」発言。加えて、家族内の殺人事件、殺人を依頼したり、ばらばらにしたり。
もううんざり、といった気持ちになります。世の中が脆弱になっているのは、もしかすると過去の過ちを繰り返す愚かな人間への警鐘なのかもしれません。組織の中で何か問題が起きたとき、どうやって問題解決していくかという術をみつけられない。始末に困り短絡的な判断をしてしまう。それが最も小さな集まりの家族の間であってもしかり、全国展開する組織にあっても同じこと。
製品の場合は、関係者がことの真実を隠してしまう。発覚しないわけがないのに。どうにかなると思うのでしょうか。地元のお店で一生懸命働いていた人の顔が浮かび、せつなくなります。家族の場合は、なかったことにしたくて殺してしまう。バラバラにする。そのあとのことを考えることはできないのでしょうか。人を殺して、隠して、そのままですむはずがない。こういう見方をすると、共通に危機意識がおかしくなっているような気がします。
問題に気づくのが遅れたことにより、ことが大きくなったのか、はたまた、適切な解決策を導き出すことができなかったのか、そんな余裕すらなくなっているのか。私たちは賢い消費者としてことを見据え、そして今一度家族のあり方を考えるべき時なのかもしれません。これ以上繰り返すことがないようにしたいものです。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」254号(2007年2月5日発行)に掲載された記事です。
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