出産と育児-育児をしない意気地なしの問題
「育児をしない男を父とは呼ばない」というコピーがありました。皆さんはこれをどう受けとめましたか?
妊娠から出産、そして育児という長い年月をかけて行われる出来事は、父親である男性にとっても母親である女性にとっても人生を左右するものであり、日常の生活を支配する重大なことといえます。子どもを育てる環境を整え、子どもを支える人間関係を作り上げていく過程を通して男女はそれまでの自分自身の生活を見直していくことを強制されることになります。ですから辛いものにもなります。
妊娠や出産は父親母親自身から本来望まれるものです。けれど、予期せぬ出来事として当惑をもたらす場合もあるわけです。結婚生活に対する軽い失望や、家庭の経済基盤の不安定さ、職業やその他の社会生活上の問題と妊娠とが重なり悩みとなるのは決して珍しいことではなく、特別なことでもありません。
出産と育児をめぐるさまざまな事項について、あらためて母親となる女性自身の問題として考えさせられるわけです。
家族は様々な問題を抱えながら子どもを迎えます。家族が子どもの環境を整える働きとしては、生活習慣としての前の世代から受け継がれるもの、日常の活動として形づくられているものがあるでしょう。また、知識や育児観として、文化として伝えられるものもあります。家族の日常生活のさまざまな行動がすべて周到に考えぬかれ、準備されているわけではありません。父親と母親となる者が自分のこれまでの行動様式に基づき、さまざまな状況の影響を受けながら、いずれかの方法を選び出し、働きかけていくのです。当然ここでストレスが生じます。ストレスの発散の多くは残念ながら子どもに向かいます。最悪の場合、育児の放棄や虐待になることもあります。孤立せずに誰もが育児に参加できる環境を作ることが周囲の者の課題かもしれません。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」167号(1999年11月5日発行)に掲載された記事です。
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