死 なぜ死を考えるのか
人生の中で、特に老年期は死の問題を抜きにしては考えられない時です。老年期の発達課題としても、「死を受容する」これが最終的な課題とされています。実際、高齢化が進み、死に直面する機会は高齢者に多くなります。友人の死、配偶者の死、家族・親戚の死、そして自分の死です。もちろん、老年期だけでなく、全てのライフステージで「死」を知ることが必要です。死を知ることは、生命を考えることにつながるからです。
ちょっと前までは、医療に携わる者の間でも、死についてはタブーでした。タブーというよりも、死の恐怖にある患者さんを支える自信や力量不足のため、関わることができないという判断があったかもしれません。病気を治すことが第一で、一分一秒でも延命させる、これが医療の全ての課題と認識していたためもあります。今、医療現場では、尊厳死、脳死、臓器移植、癌告知、終末医療などなど、死を切り離しては考られない大きな問題が続出です。これからは死を支える医療は大きく変わることと思います。
死は本来、自然な現象です。誰もが死にます。人間だけでなく、植物だって、動物だって死にます。なのに、死はタブーであったり、恐れられたりするのはなぜなのでしょう。
その反面、日本では高齢者の自殺、特に女性の自殺率は極めて高いものです。自殺の原因には、介護に負担をかけるという気兼ねや経済的問題が上がります。
今、死を知ること、そして生命の意味を考えるための時間が必要です。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」182号(2001年2月5日発行)に掲載された記事です。
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