サトウキビ
私の子供の頃には、縁日の屋台店で買ったサトウキビの思い出があります。竹に似た節があり黒紫色の茎でしたが、おやつ代わりにかじったものです。パンダも大好物だそうです。原産地はガンジス、インダス両川の流域地方であるとされているので、昨秋十一月インドを旅して納得。ガイドさんに勧められてかじってみましたが、歯が立ちませんでした。
砂糖製造の歴史はインドがもっとも古く、紀元前五世紀に、人工の蜜についての文献があります。また、アレキサンダー大王のインド遠征(紀元前三三四年)のときの記録に、インドには蜂の力を借りずに、葦からとれる蜜があると書かれています。その後サトウキビは、エジプトを通って、地中海沿岸に分布し、アフリカ南部、さらに大西洋を渡り、北アフリカに広がります。また、中国、タイ、マレー半島、東インド諸島、オーストラリア北部、そのほか太平洋諸島に伝播していきますが、中国では唐宋の時代、すでに製糖法が発達して、濃汁から結晶した砂糖が造られています。
日本のサトウキビ栽培は沖縄が第一ですが、沖縄にサトウキビが伝わったのは八世紀ごろと推測されています。第二次大戦で沖縄も南西諸島もサトウキビ畑が荒廃してしまいました。しかし、奄美群島や沖縄が本土復帰するとともに、新しい糖業時代を迎え、いま沖縄の黒糖は全国のマーケットで売られています。砂糖も塩も、精製されて、純白になってしまいましたが、私たちの子供の頃は庶民の家庭で使う砂糖は、黒糖がほとんどでした。
精製した氷砂糖を焼いても、後に何も残りませんが、黒砂糖の場合は四~六%の灰分が残ります。この灰分はカルシウム、鉄、リン、硫黄などのミネラルです。黒砂糖が疲労回復剤として速効があるのはこのためです。精蜜からはアルコール、イースト、アセトン、乳酸などを製造します。残渣は肥料にします。そのほか用途は広い。
日本のサトウキビ栽培は沖縄が第一ですが、沖縄にサトウキビが伝わったのは八世紀ごろと推測されています。第二次大戦で沖縄も南西諸島もサトウキビ畑が荒廃してしまいました。しかし、奄美群島や沖縄が本土復帰するとともに、新しい糖業時代を迎え、いま沖縄の黒糖は全国のマーケットで売られています。砂糖も塩も、精製されて、純白になってしまいましたが、私たちの子供の頃は庶民の家庭で使う砂糖は、黒糖がほとんどでした。
精製した氷砂糖を焼いても、後に何も残りませんが、黒砂糖の場合は四~六%の灰分が残ります。この灰分はカルシウム、鉄、リン、硫黄などのミネラルです。黒砂糖が疲労回復剤として速効があるのはこのためです。精蜜からはアルコール、イースト、アセトン、乳酸などを製造します。残渣は肥料にします。そのほか用途は広い。
砂糖黍かじりし頃の童女髪
久女
日高 一
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」242号(2006年2月5日発行)に掲載された記事です。
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