正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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ビート

     - クスリになる食べ物

サトウキビは主に熱帯や亜熱帯地域に栽培されますが、ビートは温帯地域に栽培されます。北海道では四月下旬から五月上旬頃タネを播いて、収穫は十月中旬から十一月中旬頃になります。

ビートの栽培は、紀元前四〇〇年から六〇〇年にさかのぼり、そのころすでに古代ギリシャ人によって原種や根が利用されていました。野生種の原種は、古く中近東で野菜として利用され、その後、ヨーロッパに渡って飼料用になりました。

日本のビート栽培の歴史は、明治三年(一八七〇)、現在の新宿御苑にあった新宿勧農試験場で、試作したのが始まりです。その後、北海道で明治四年から、札幌官園で試作が始まり、成績が良好だったので、明治十三年(一八八〇)、道南の伊達紋別(現伊達市)に、官営の製糖所が建てられました。これが日本のビート糖業の第一歩です。

その後、天候不順が続いたうえ、栽培技術や輸送のことなどがあって、明治二九年に操業を中止するなど、ビート糖業は興亡を繰り返しますが、大正三年(一九一四)、第一次世界大戦が勃発して、ヨーロッパ全域が戦場化すると、ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー、ロシアなどビートの主生産地が荒廃してしまいます。このため世界的に砂糖が不足し、値段が暴騰したため、日本でも国内製糖が再認識され、ビートが脚光を浴びるようになりました。

北海道のビート栽培の中心地は、十勝地方ですが、細長い紙筒に種を播き、苗床で苗の生長を促進させてから移植する栽培法で、収量が飛躍的に増加しました。このペーパーポット栽培は、日本が独自に開発した方法です。

ビートの副産物にはいろいろなものがあります。残滓のビートパルプも、すぐれた家畜飼料として利用されますし、製糖工程の最後に残った廃糖蜜は、アルコール、酢酸、パン用の酵母剤その他製薬の原料として用いられています。

甜菜や原野大きな日を沈め
小林希世子

日高 一


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」250号(2006年10月5日発行)に掲載された記事です。

著者
福士 高光
株式会社ケルプ研究所 代表取締役会長

略歴
F・E・ヨガライフ協会会長。理学博士。F&Eシリーズ開発者。