めし(飯)
「部屋のなかには赤々と炭を入れた火鉢がおかれ、そこで三人の役人たちがうまそうに熱い朝飯を食べていた。湯気の立つ味噌汁の匂い、沢庵を噛み切る音。」(遠藤周作『女の一生』)日本の味を代表する「ご飯のおいしさ」は、文学作品やエッセイの中で、食卓の情景も加わって臨場感がひしひしと伝わってきます。
めしの語源は、ムシ(蒸)の意味だとか、ウマシを省略した、ミヲシが変化したという説もあります。また、メシ(食)とか、食(おす)とか、メス(召)、命司(めし)、メシモノ(物)、キコシメスの略転したものとか様々です。
字音はハンです。ごはん、ごぜん、おぜん、やわら、まま、まんま、いい、ひめいい、おだい(御台)、だいばん、おもの、ぐご(供御)、おおみけ(大御飯)、ごれう(御料)など飯の呼び名も、地方によっていろいろです。
もともとは穀類を炊いたものの総称が「飯」だったのですが、やがて「めし」というと米の飯をさすようになります。日本人が米の飯を食べたのは弥生時代からです。米の飯を炊く初めは、木花之開耶姫(このはなのさくやびめ/広辞苑)が渟浪田(ぬなだ/沼田)の稲を用いて飯をつくったということが最も古いことといわれています。中国の古い史書には皇帝が穀物を蒸して飯となすとか、穀を烹て(にて)粥となすとあります。
飯は、甑(こしき)を使って蒸してつくられました。これは瓦製ですが、槽(おけ)という字を充てている文献もありますので、木製のものもありました。江戸時代から使われ出した蒸籠(せいろう)がそれです。
昔、かなえ(鼎・食物を煮る容器)の上に甑をのせて飯を炊いたことが伝えられています。室町時代になると、かなえを「かま」と称えるようになります。飯は、かしぐといい、粥は煮るといいますが、かしぐ(炊ぐ)というのは、甑を使うことからいわれるようになったのだろうと思います。飯は、最初は蒸してつくることから始まって釜で炊くようになったのです。「伊勢物語」に飯をけこ(ざる・かご)器に盛って食べるとありますが、これは蒸した強飯(こわいい)であったことがわかります。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」259号(2007年7月5日発行)に掲載された記事です。
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