もち(餅)
本山荻州の飲食事典によると「もちの名義について《成形図説》は[毛知とは黏気(ねばりき)ありて物に附着するを称也。黏は根張と訓ず。根張物は引離ちがたきよしなり。黐(もち)(もち―モチノキの別称。鳥や蠅などを捕えるのに用いた。註・筆者)。]もまた同じ」とあります。
また、餈・餐・餻(し・さん・こう)もモチのことで《和名鈔》に「糯をもちのよねと云るは米の黏る者をいへり、是もちの義なり。故にここには糕(こう)にまれ餈にまれもちと云い餅字を通はし用ゆ」とあります。餈は稲餅、飯餅のことで喜多村信節(のぶよ・文政十三年一八三〇)は《嬉遊笑覧》のなかで「餅は小麦だんごなり。それより転じてつくねたる物を餅といへり。だんごは糕字、餅は餈字なり。」といっているので、そのころは、餅といえば小麦で作った団子のことだったのでしょう。
中国の餅という字は、小麦粉から作った食品のことだということは知られていました。日本の糯米で作るモチとは違うものですが、借字として餅という字を使っていたものです。
古くは餅をモチヒと呼んでいました。モチヒの語源には、三つの説があります。モチイヒ(望飯)の略であるという説が一つ。それと勝負をあらそうことに勝たず負けぬことを持ちといい、また物事のなかを取り持つという意味で、その持飯であるという説。もう一つは糯の飯というから餅飯だという説です。
新井白石の《東雅》(享保四年一七一九)は「もちひは糯飯(もちひ)なり」といっています。餅は円満の象徴であるという説がありますが、これは丸いことが生命を表しているからで、餅の形が満月、つまり望月に似ているからモチといったとする説もあります。モチヒが室町時代にモチになったと見るのがわかりやすいように思います。
飲食事典の鳥黐(とりもち)や黐木(もちのき)のモチのように、搗きたてのモチが粘着することからモチとなったという説は感心しません。
揺らげる歯
そのまま大事雑煮食う
虚子
雑煮は三が日の晴れの食べ物で、毎朝餅を羹にしたものを神仏にお供えし、一家こぞって膳について祝います。切り餅や丸餅の清まし汁仕立てやみそ雑煮など、正月は故郷の馳走で賑わいます。
日高 一
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」266号(2008年2月5日発行)に掲載された記事です。
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