正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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『ヨーガスートラ』と『ハタヨーガ・プラディーピカー』

     - インド哲学

新年度を迎え、今年は『ヨーガ・スートラ』と『ハタヨーガ・プラディーピカー』のお話しをして行こうと予定しています。

今日、世界的に流行しているヨーガは、その元をたどればインドの地に生まれ、ヨーガの歴史はおよそ5000年と考えられます。この5000年の間、インドは片時もヨーガを忘れることはありませんでした。どんな時にもどんなところでも、ヨーガを用いてきたのです。なぜそれがわかるかというと、ヨーガがインドの思想や哲学の重要な特徴になっているからです。

ヨーガとはなんでしょうか。ヨーガとは、その基本は、精神を集中させること、注意深く気づいていくことを意味しているといってもよいでしょう。みなさんの知っているヨーガの意味とは違うかもしれませんが、ヨーガの語義が「繋ぐ」「結びつける」から派生していることを考えるとあながち間違いではないのです。

ヨーガは、自分自身の心・身体などを知っていくことだと言えます。しかも、まず自分で自分を操作しながら実践的に知っていくことなのです。つまり、自分自身について自分の力で気づいていくこと、これがヨーガのねらいだとわたしは思っています。言い換えれば、自己による自己の探究なのです。インドのすべての哲学は常にこのテーマを追っていきました。だから、インドの哲学や思想は、まるで宗教のようであると特徴づけられるのです。

さて、『ヨーガ・スートラ』という書物は、後2世紀の頃に現れたパタンジャリという人によって著され、そこからヨーガ学派が興りました。その後12-13世紀にゴーラクシャ、あるいはゴーラクナートが、ハタヨーガを作りました。その後、16-17世紀にスヴァートマラーマが『ハタヨーガ・プラディーピカー(ハタヨーガの灯火)』という書を著してハタヨーガを世に広め、今日のヨーガの隆盛を見るに至るのです。わたしたちが今行っているヨーガはハタヨーガの系統に属します。

さて、ようやく本題に入ります。『ヨーガ・スートラ』に説かれるヨーガは、後にラージャ・ヨーガ(王のヨーガ)と呼ばれるようになります。『ハタヨーガ・プラディピカー』では、ハタヨーガについて、ラージャヨーガに導くために説かれたと述べられています。わたしは、最初、ここを読んでひっかかってしまいました。時代がこれだけ経っているのに、後に出てきたハタヨーガの方が、ラージャヨーガのために存在している、というのはどういうことだろう、と思いました。『ヨーガ・スートラ』が発展してハタヨーガになったのではなく、その逆で、後からやって来るハタヨーガの方がラージャヨーガの予備段階であるという位置づけなのです。

「人類は思想的に発展する」という考えではないのだなと思いました。最初の『ヨーガスートラ』で、すでにヨーガは完成したものとみなされているということだと思います。このため、古い『ヨーガ・スートラ』は古くさいものとはされずに、いつまでも真理に至る大切なものとされるのです。

今年は、3級のみなさんと『ハタヨーガ・プラディーピカー』を読んでいく予定にしております。通常の考え方を離れてヨーガの思考法に触れてみましょう。今年もよろしくお願いします。

 


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」459号(2024年3月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。