正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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頂上をめざす

     - インド哲学

前回から続いて、今回は、『ヨーガ・スートラ』の「スートラ」を手がかりに、そこからパタンジャリの思想についても学びましょう。

すでにお話ししたとおり、スートラ(経)というサンスクリット語は、もともと「糸」を意味する語で、『ヨーガ・スートラ』という作品は、短いことばの集まったものをいうのです。

最初にスートラという形式を作ったのは、仏教の開祖ブッダだということを、わたしはインド哲学の研究から見つけました。ブッダは自分の教えをわかりやすく弟子たちに伝えるために、スートラという形式によって導いたのです。

前にもお話ししましたが、花の一つ一つを糸に通して花輪を作って首にかけるように、教えの内容を短いことばで表して記憶しておくためのものです。つまり、記憶するために短い文章になっているのです。

さらに、ただ記憶するだけでは意味がありません。記憶するのは、実践するためであることもすでにお話ししました。その通りにやってみるということが大切なのです。短いのは実践しやすいからであり、記憶するのは常に忘れず実践していくためです。

ですから、教えとして完成しているということは、教えを編み出した人が実際にやってその通りになったものでなくてはならないのです。その教えを実践して、教えの通りにまちがいがないことがわかったなら、その時初めて他の人に教えることが出来るのです。そういう教えの通りになることを「悟る」とか「覚る」とかいいます。

こうして、ブッダは悟りを開いて、他の人々に自分の教えを広めて行きました。仏弟子となったものたちはブッダの覚りを自分たちもまた開いていきました。

その中には、ブッダの教えに感銘を受けたものたちだけではなく、自分で実践しながら自分の思想的なものを大事にして行く人たちもふくまれていたのです。ブッダによりながらブッダを乗り越えていくものたちです。

その中に、ヨーガ学派の開祖パタンジャリも含まれると思います。ですから、出発点は全くの仏教なのです。沙門(修行者)ゴータマは覚りを開いて、ブッダ(目覚めたもの)となり、仏教を完成させました。完成された教えがあるということは、とても大事なことです。

頂上にたどり着けることがわかっていると山登りも苦にはなりませんが、頂上にたどり着けるのか分からずに山登りをするのは、とても勇気がいります。もしかするとただ行き止ってしまうかもしれないし、途中で断念してしまうかもしれません。その意味で、悟りを開いた人がいる教えによるというのは無駄のないやり方なのです。

こうして、多くの思想家は先生を捜し求め、その先生の境地を得ようとしました。ブッダに従ったものたちの中には、ゴータマ・ブッダを超えてあらゆる衆生を救おうとする者たちが現れました。こうして、大乗や密教が生まれていきました。

パタンジャリは、アートマンを認める立場を土台にして、仏教の無我の思想を参考にしながら、ヒンドゥーの神々を説くアートマンの哲学を打ち建てようとしたのです。そのため、仏教から決別して、アートマンを認める正統派ヒンドゥー教にとどまるのです。

パタンジャリは、ブッダの完成した教え(法)を乗り越えて、新たにオリジナルの思想を付け加えヨーガ学派の教えを導きました。他から学びながら、その上を行く自分自身の境地を目指す、というこの方法はブッダ自身も行ってきたことなのです。全く対立するように見えながら、仏教とヨーガ学派は、互いに支えあう側面があるのです。これがインドの伝統なのです。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」478号(2025年10月6日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。