正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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サンスクリット語の魅力

     - インド哲学

インドの哲学や文学を学ぼうとすると、サンスクリット語という言語に出合います。
この言語は、非常に歴史の古い言語ですが、また、複雑な文法をもった言語としても知られています。
今回は、サンスクリット語の特殊な用法を少しご紹介しましょう。
サンスクリット語には、合成語(コンパウンド)と呼ばれている、ちょっと変わった用法があります。
これは、ことばとことばがくっついて一語のようになってしまう文法形態で、
二つ以上のことばがつながるので、はじめて接する人にはとてもむずかしく感じます。

具体的にどんなものか見てみましょう。
現代ヨーガで有名なアイアンガー氏の著作に「ヨーガヴリクシャ」というタイトルの書があります。
このヨーガヴリクシャも、合成語です。
ヨーガという語とヴリクシャという語がつながって、「ヨーガ・ヴリクシャ」ということばになったのです。
これだけ聞くと別に何も感じないかもしれませんが、「ヨーガ・ヴリクシャ」は合成語ですから、
これはこれで一つの意味をもちます。どんな意味になるのでしょう。
ヨーガは、みなさんおなじみのことばですね。「ヴリクシャ」は「樹」という意味です。
日本語でそのまま書くと「ヨーガ・樹」となりますが、もちろんこれでは意味は通じません。
合成語には、実は、意味を理解するためにいくつもの解釈があるのです。

大きく分けると六つありますが、今は、可能性のあるいくつかをご紹介しましょう。
一つは、二つの語を並列する用法で、「ヨーガと樹」という意味が考えられます。
また、もう一つは、「ヨーガの樹」というように、「の」で結びつけられる用法があります。
これは、ちょっとやっかいです。たとえば、「ラージャ・プトラ」のように、
ラージャン(王)とプトラ(息子)が結びつけられると、
すぐに「王の息子」で王子のことだとわかりますが、
「ヨーガの樹」という場合は、あいまいでピンときません。
また、他の解釈の可能性としては、「ラージャ・リシ(王仙)」のように、
「王であって仙人(リシ)である人」と同格に理解することもできます。
つまり、「ヨーガである樹」とか「ヨーガという樹」と理解するのです。
一つのものを「ヨーガ」とも説明し「樹」とも説明するということで、
たとえば、ヨーガを樹に喩えることが考えられます。
実際の訳としては、日本語の言い回しも考慮して、含みをもたせた「ヨーガの樹」とされたのですが、
ヨーガ・ヴリクシャという合成語の解釈としては、本の内容がヨーガを一本の樹に喩えているところから
「ヨーガである樹」ということだと文法的には理解できるでしょう。

サンスクリット語は、このように、たくさんの意味の可能性を含んだ形で表現されるので、
自分で考えて意味を探っていかなくてはなりません。
ここが、読んでいてむずかしいところでもあり面白いところでもあります。
自分の理解の深まりとともに解釈も深まっていくところは、ヨーガの実践と似ていますね。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」361号(2016年1月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。