オリンピック騒動
2年前、東京2020のオリンピックチケットの抽選をことごとく外した私。
人気のありそうなものは避け、日本選手が少ないであろうと考えたチケットを狙ってもダメでした。
あのときは、かなりのショックを受け、立ち直るために4Kテレビを購入したほどでした。
もちろん、テレビを買う言い訳ではありましたが。
おとなしく家でテレビを見る決意をしたのですが、まさかこんな状況になるとは。
1964年の東京オリンピックは記憶にありませんが、1972年の札幌での冬季オリンピックは覚えています。
フィギュアスケート、スピードスケート、ジャンプなど。
寒い中、外国人選手のパフォーマンスに驚き、日本人選手の活躍に胸躍らせました。
けれど、それ以上に札幌の街並みが変わっていく姿に興奮しました。
地下鉄が通り、アリーナができ、選手村が立ち並ぶ。
外国人が多く街を歩く姿に圧倒されたのは事実です。
これから札幌は変わると子どもながらにわくわくしました。
そして今、1年遅れで東京オリンピックは始まりました。
前例がないだとか、前代未聞だとか言われていますが、
私の記憶にあるモスクワ大会での参加ボイコットは衝撃なものでした。
あのときの選手の気持ちを思うと切ない気持ちがよみがえります。
オリンピックを無事に開催するのは、なかなか難しいようです。
そして、確かにオリンピックどころでない国民が少なくない状況であるのは事実です。
オリンピック開催の是非は難しい。
この現状で私にできることを考えながら、しばらく、許される時間はテレビの前で過ごそうと思っています。
無観客の競技場、その中で繰り広げられる力や技の発揮を期待して。
静かな会場と技術の進歩した映像を楽しもう。
しかし、国内開催であるために、寝不足にはならないと思っていましたが、仕事中に見ることはできない。
4Kに切り替えることも忘れ、まったく活用していなかったり、録画や各局の動画を見ることになったり。
とどのつまりは寝不足になるのでした。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」428号(2021年8月5日発行)に掲載された記事です。
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