ヨガの仲間、友人の皆さんへ:「どうしてヨガを行うのか?」
- ヨガ
「私は今までレッスンの中で言ってきたことがあります。ヨガを行うのは何かの目的のためではなく、例えば病気を治したり、故障や痛みを取り去ったり、またダイエットや、美容や健康のためでもなく、ヨガそれ自体の中に楽しみや喜びを見出すように、と。エゴや欲望が作り上げた目的を達成するための、手段として行うのではなく、子供が無心に遊ぶように、その世界に没頭するように、と。私は青春時代をパリに住み、前衛劇や前衛舞踏に興味を持ち、その一環でヨガを始めました。その後帰国を機に、あまり守るべきものもない自由の身だったのでヨガ道
場に入り、沖正弘という方を師としました。それ以降は、自分が行っているヨガに疑問を持ったり、もうやめてしまおうかと何度か思うたびに、人生の方向、ヨガの進むべき道を決定する、指導者、グルの方々にめぐり合いました。アイアンガー師、パタビジョイス師、和尚ラジネーシ、その他の方々共々、私が追い求めたこともなく、向こうから自然に巡って来たという印象です。
ヨガは昔から川の流れにたとえられたり、火や、灯火にたとえられてきました。私はこれらの師の方々と巡り会うことにより、ヨガの流れの中に入り、心の奥にヨガの火を灯して頂き、それを保持してきました。私にとって外や人から学ぶ時期は完了し、今は自分の内に生命が流れるように、己の進歩、成長に従いヨガが自然に展開されてゆく感があります。生命の根源は、絶対的な静寂、無から生じ、暫しの間流れ、灯り、肉体が滅びるとまたこの静寂と無に還っていきます。私たちはこの流れを調和して磨いてゆくことで、流れの根源、静寂と無を観照、体験することへとつながります。
今の私の役割は、皆さんをこのヨガの流れの中に導き入れ、皆さんの心の中にもヨガの火を灯すことと捉えています。今までに出会った人、またこれから出会う人共々、私との巡り会いがより自然な流れへと展開し、深まってゆくことを願っています。」
合掌、祈り、
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」320号(2012年8月6日発行)に掲載された記事です。