何もしないことは悪いことなのか?
お年寄りの友達Aさんは生き生きしている。彼女は、私よりも三十歳上ですが、まさに自由に生きている人で、本当に生き生きして見えます。けれど、Aさんが自由に生きているのは、支えてきた御家族の存在があるからです。Aさんの息子は「もう少し年寄りらしくして欲しい。いい年をして、私たち家族は大変なんです」と話します。お年寄りを支えてきた御家族が、そうでないことを願うおかしさ。息子さん御家族にとっては、Aさんの自由な生き方は、はらはらドキドキの連続で目が離せなかったものであったようです。お年寄りが自由に生きることが、子ども家族の犠牲の上に成り立っているというのはおかしな話です。社会全体でお年寄りのみていかなければならない課題というのは、こんなところからもいえるのかもしれません。
老いて恐ろしいのは、すべてのものに興味や関心が失われることでしょう。結果、人との交わりがなくなり、孤立してしまう。家に閉じこもっていた人が、認知症予防の集まりに参加して元気になるのは、人と触れ合うことの大切さを物語っています。一人ひとりがその人らしく生活できるような取り組みを追及することは、難しい課題なのかもしれません。
難しいという意味では、自分の意思で何もしない生活を選んだ人をどう考えるかという問題があります。「もう十分」と自室にこもってしまい、長く外に出ないで暮らす人がいます。Bさんは、Aさんと同じ年ですが、ぼんやりしていることや何もしないことが気持ちよいそうです。バリバリ仕事をしてきた人ですが、何もしたくないという意思は強いです。
何もしない生活が精神的に良いとは思えません。豊かとも言いがたいです。しかし、元気で活動することが良く、何もしないことが悪という価値観念をお年寄りに当てはめてよいのか悩みます。このなかなか答えを出せない問題に直面して家族や関係者が悩むのは、それを見ているのが辛いからでしょうか。何もしないことに対する焦りを生むのかもしれません。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」282号(2009年6月5日発行)に掲載された記事です。
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