自分の顔と身体に責任を持つ
「男は40歳を過ぎたら、自分の顔に責任を持て」リンカーンの言葉だそうです。幼い子どもの頃は遺伝的要素が強く、その後は育った環境が顔を作る。そして、大人になって意思が顔を作るというのは、確かなこととうなずけます。これは男性だけに言えることではなく、女性にだって言えること。40歳を過ぎた私は、笑顔の似合う聡明な顔になったかどうかはわかりませんが、年齢を重ねて良い顔になることには憧れます。その人の生き様が顔にあらわれるということでしょう。なので、自分の生きてきた歴史に責任を持て、ということなのだと思います。
おなじように、身体もそうと思います。単純に痩せればきれいになるわけではありません。年齢とともに、身体を動かすのがおっくうになったり、雑事に追われたりで、自分自身を維持管理するための時間が取れないのは事実です。さらに、面倒くさい、疲れたからいいやとあきらめが加わり、くたびれた身体になってしまいます。逆に、身体に気をつけて、年齢を加えてもしなやかな体の方もいます。身体にもその人の意思が表れているようです。
自分に甘くなっていても、他人を見ると情状酌量なんてことはなく、「あ、老けた」とシビアに判定をしています。この判定は、客観的なものですが、誰も口にはしてくれません。口にされても困りますけれど。なので、自分で気がついて、自分で責任をとることが必要なのでしょう。普段の生活にメリハリをつける。背筋を伸ばして生活するのは意外と難しいことかもしれません。
医療の進歩により、ずいぶんと長生きできるようになりましたが、楽しく幸せに、満足できる生き方は、若々しく美しく見えるなど、顔にも身体にも影響することなのでしょう。
自分の生きざまが顔にも身体にも表れる、何とも残酷な現実です。年をとるのだから、それを当たり前と考えるか、自分の人生を生きていこうと思うかは、自由なこと。それでも、いい顔で年を重ねていきたいものです。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」297号(2010年9月6日発行)に掲載された記事です。
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