死にざま
元キャンディーズのスーちゃん、女優の田中好子さんが乳がんのため55歳で亡くなりました。20年近い闘病生活の中で、迫りくる死におびえたこともあったはず。なのに、周りには病気のことを伝えず、体調を整えては仕事に打ち込む。病床で呼吸も苦しくなっている状況のなかで、震災で被災された方や周りの方々を思いやる。強く、そして、慈愛に満ちた人だったことがわかります。ここまで強く優しくなれるのは、きっと彼女がいろんな経験をしてきたためと思います。自らの死後のことも考え、準備し夫に託す。夫のサポート力も大きいということですが、それにしても、あまりにも潔く、見事な死にざまといえましょう。
「人間は死すべきものである。」ふだん私たちはそんなことを考えずに生きています。青春まっただ中の若者や、病気知らずの健康な人には想像のつかないことと思います。ご高齢の方と話をしているときに、「ある日、ぽっくり死ねたらいい」、そんな言葉をよく聞きます。けれど、それはなかなか難しく、そう簡単にぽっくり死ぬことができないのが人間なのです。
自らの死に直面するようなことがあった時、たとえば、人生の後半に向かっていると体力の衰えを強く感じた時、年齢を問わずに深刻な病気になった時などは、死は突然現実味を帯びて突き刺さる言葉となります。死が間近に迫ると、さびしく、恐ろしく、圧倒的な力に押しつぶされそうになることもあるでしょう。また、夢や責任、義務に役割など、人生の中でのやり残したことばかりに目が行き、悔いを多く感じることもあります。死の間際まで、何のために生きているのか、この生き方で良かったのかと考えることも多いようです。
生きるということは、何年生きても満足できるものではないでしょう。諦めがつかず、もがき苦しみ、暴れるほど悩む。
それほど人生は素敵なものなのだと思います。
この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」305号(2011年5月6日発行)に掲載された記事です。
著者 |
|
略歴 |