正しい食と適宜の運動、そして明るい心こそが真の健康を築きあげます。ここでは、機関紙「未来」に掲載されたコラムを発信してまいります。

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「その時プルシャは」

     - インド哲学

『ヨーガ・スートラ』1・02から、ようやく『ヨーガ・スートラ』1・03に進みましょう。ヨーガによって心の働きが全くなくなってしまったとき、私たちはどうなるのでしょう。この境地に最初に到達したのは、おそらくは仏教の開祖ゴータマ・ブッダその人ではないでしょうか。

ブッダの時代には、まだヨーガ学派なんてなかったんじゃないの? といろいろ疑問がわいてくるかもしれません。おっしゃるとおりです。ブッダのいた当時、まだ心作用を止滅した人はおそらくなかったでしょうし、それに、まだ、ヨーガ学派の開祖パタンジャリも生まれていませんでした。ブッダは、苦しみを払うために修行をして悟りを開きました。仏教の思想はあらゆる生き物のために説かれたのです。

さて、簡単に「心作用の止滅」といいますが、この境地に達するのはめちゃくちゃ大変です。テーラワーダ仏教で有名なスマナサーラ長老のご説明だったと思うのですが、それによれば、あらかじめ禅定に入る前にいつ禅定からでるかを決めておくのだそうです。そうしないと禅定に入ってしまったら心が働かないので禅定からでることができなくなってしまうからです。

『ヨーガ・スートラ』では、心作用を止滅したときのことが次のように書いてあります。
「その時、見る者(であるプルシャ)は自己自身に住している(アヴァスターナ)」(『ヨーガ・スートラ』1・03)

「その時」というのは「心作用を止滅したとき」ということで、「見る者」は実在の原理プルシャ(=アートマン)をさします。このとき、パタンジャリは、サーンキヤの哲学によって到達した境地をこのように説明するのです。パタンジャリは、ヨーガの極意を受け継いでその教えをブッダのものから少しだけ変容させました。言葉としては少しですが、思想的には全く異なる別次元のものになりました。

ブッダの法では、ヨーガによって心の作用が消えたら「自己(アートマン)」というものはありません。ただ心だけはあったのですが、それも消えてしまいました。そこで、この境地を「空(くう)(からっぽ)」というのです。ただ身体のみが残るのです。仏教の「小空経」という経典で、そのあたりのことを確かめることができます。

さて、『ヨーガ・スートラ』3・03では三昧(サマーディ)を説明して、「ただ、対象そのものだけが現れていて、それ自身が空であるかのごとくであるのが、三昧である」とあります。このように「空のごとく」という言葉で、空を説く仏教との違いを露わにしました。空(くう)のようだけれど、空ではありません。心の働きが滅しても、最後に残るものがあるのです。それが、自己(アートマン・プルシャ)といわれるものなのです。ヒンドゥー教の聖典『ヨーガ・スートラ』は、「自己(我)」を前面に押し出した思想を持ち、仏教の無我思想と対立するのです。


この記事はヨガライフスクールインサッポロ機関紙 「未来」486号(2026年6月5日発行)に掲載された記事です。

著者
石飛 道子

略歴
札幌大谷大学特任教授。北星学園大学他、多数の大学・専門学校にて非常勤講師著書『ブッダと龍樹の論理学』ほか多数。

ヨガライフスクールインサッポロ講師、北星学園大学、武蔵女子短期大学、その他多数の大学、専門学校にて非常勤講師として教鞭をとる。著書に『インド新論理学派の知識論―「マニカナ」の和訳と註解』(宮元啓一氏との共著、山喜房佛書林)、『ビックリ!インド人の頭の中―超論理思考を読む』(宮元啓一氏との共著、講談社)、『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ)、『龍樹造「方便心論」の研究』(山喜房佛書林)、『ブッダと龍樹の論理学―縁起と中道』(サンガ)、『ブッダの優しい論理学―縁起で学ぶ上手なコミュニケーション法』(サンガ新書)、『龍樹と、語れ!―「方便心論」の言語戦略』(大法輪閣)、『龍樹―あるように見えても「空」という』(佼成出版)がある。